ふたつ
し
か
ない
※本田さんが気持ち悪い擬似親子パラレル。
(本田と中学生アーサー)
「ねえ、アーサーさん。いいじゃないですか、一つくらい」
菊はそう言いながら湯飲みを取った。茶を啜りながらにこにこ笑っている。
俺が了承しようものなら、すぐにでも身を乗り出してくるだろう。
「菊、二つもあるんじゃない。二つしかないんだ。お前にはあげられないよ」
四角いテーブルを挟んで、向かい合わせの男に言う。
菊は白くて細い、それでも俺より大きな手で茶菓子の饅頭を二つに割る。
よくもまあ、諦めもせず何度も言って来れるものだ。菊は不満そうに唇を尖らせた。
「綺麗なんですもん、いいじゃあないですか、一つくらい、一つくらい」
俺は呆れてため息を吐いた。一回り以上も年が上のはずの大人にしては、随分と子供っぽい仕草だ。
お前、いくつだよ。いつも明確な返答をもらえない問いを思わず呟いて、常々思うことを尋ねる。
「なぁ、菊。お前、これが目当てで俺を引き取ったのか?」
そう言うと菊は瞬きをした。それから表情を弛めて笑う。
「まさか、そんな」
この手の話をしているときに俺を見る菊の目はいつだって笑っていない。
身寄りを亡くした俺を引き取ったのは年齢不詳の東洋人の男だった。
親戚の間では厄介者でしかなかった俺の居場所は案外すんなりと決まった。
男は俺の父の知り合いだという。
それは、何が本当で何が冗談で何が嘘なのか、言動の真意を掴みづらい男の言葉の中で信頼できる情報の一つだった。
いつか男に差し出された写真には確かに男と並んで笑う父の姿があったから。
初めは信用出来ないと突っぱねていたこの保護者とも、いつの間にか茶を楽しむまでになった。
何事も大抵は時間が解決するのだ。
アーサーさんのお父さんは私の会社の同期だったんですがね。私、最初は会社でも一人でいようと思ったんです。
だって、その方が気楽でしょう?
けれども、偶然入社式で隣に立った貴方のお父さんの、その、目が。
あまりにも力強くて綺麗だったので、つい話しかけてしまいまして。
それから懇意にして頂いてました。
突然旅行先の事故で亡くなってしまったのは残念なことです。
立派な方でした。
いつも前を向いて、嗚呼、彼はきっと私とは違う世界に住んでいるに違いないと思える程、綺麗な瞳をしていました。
「…アーサーさんはお父さんに似たんですね」
菊は笑う。父に似ているなんて誰にも言われたことがない。
俺の顔の造作はきっちり両親それぞれの特徴を継いでいるように思う。
敢えて言うならば。
「ああ、父さんに似たんだ。母さんの目は青いからな」
「青、ええ、青…青い色も好きです。でも私は、やっぱり翠が好きですね」
うっとりと俺を見つめて菊は言う。
訂正、俺の眼球を見つめて言うのだ。
俺は居たたまれなくなって、目を閉じた。
瞼で覆われたこの翠を菊は欲しいと何度も言う。
「なあ、菊。俺の目も父さんの目も、お前と同じものを見れば同じように映るんだぞ」
返答はない。
だけど、閉じた視界の先で菊はやはり笑っているのだろう。
「ねえ、一つくらい、いいじゃあないですか、ねえ」
貴方の翠を通して見える世界を私だって見たいんですよ。
馬鹿げた大人の妄言は無視するに限る。
俺は菊の用意してくれた茶菓子を口に放り込んで、宿題があるからと席を立った。
菊の考えることはよくわからない。どうしてこんなものが欲しいのか。先程まで一服していた居間を振り返る。
菊が憧れるらしいこの翠は今現在、微笑みながら湯飲みを片付ける小柄な男しか映していない。
(10.04.13ログ、10.06.28up・若干加筆修正)