「日本さん!」
名前を呼ばれた。此処は私の家の前である。
振り返ると、長い髪を靡かせて少女が走り寄ってくるところだった。台湾さんだ。
私は頬を上気させて息をつく彼女に微笑みかけながら、鍵を差し込む。
「日本さん、私も手伝うって、言ったのに!」
私の手に提げられた大量の買い物袋を恨めしげに見やって彼女は言う。
「お客さん、それも女の子に重たい荷物を持って頂く訳にはいきませんよ」
「でもぉ…買い物に行くときは言って下さいって私、言いました!」
「おや、そうでした、すみません。爺は物忘れが激しいんですよ」
「またそんなことを言う…」
優しい彼女は、きっと荷物を持つと言ってきかないのだろうなと思って一人で買い物に行ったのは正解だった。
流石に老体にこの荷物は重かったのですが。苦笑して差し込んだ鍵を回すとがちゃん、と鍵が閉まった。
えっ、と声を溢してもう一度回すと音を立てて鍵が開く。
「あれ、いやですね。確認したつもりだったのですが。鍵を開けっ放しで出ちゃったのでしょうか」
首を傾げながら扉を引くと、納得する。靴が三足、ずらりと並んでいた。
台湾さんが私の肩越しにそれを認めると、顔をしかめた。
「留守の家に勝手に上がり込むなんて!」
「思ってたより早かったですね。お待たせしてしまったみたいです」
「日本さん!何申し訳なさそうにしてるんですかっ!怒っていいんですよ!」
私は可愛らしく頬を膨らませた彼女を見て笑ってしまう。
すると、台湾さんは慌てたように顔を引き締め、真っ赤な顔で私を急かした。
「ほ、ほら日本さん!早く上がりましょう!寒いです!」
居間に入ると、三人の黒髪が炬燵でテレビを見ながら寛いでいた。
中国さんは私の顔を見るやいなや、遅い!と叫んだ。
台湾さんがぴく、と動いたので、すぐさま中国さんにすみませんと申し訳なさそうに笑いかけて見せた。
中国さんは不機嫌そうに鼻を鳴らして顔を逸らす。
「おい、日本さん帰ってきた」
香港さんが机に突っ伏していた韓国さんの体を揺らす。どうやら眠っていたようだ。
がば!と韓国さんが体を起こして、私を見つけると勢いよく叫んだ。
「炬燵と蜜柑とテレビの起源は俺なんだぜ!」
眠っていたときに机に押しつけていたらしい片頬に赤い跡をつけたまま言い放つ彼の言葉に、荷物を下ろしながら適当に答えてやる。
「はい、炬燵と蜜柑とテレビは最強コンボですよね」
台湾さんが声を上げて笑う。韓国さんがきょとんとして、香港さんを見た。
香港さんはそれを無視して、蜜柑を剥いている。
すると中国さんが、じりじり体を引き摺りながら炬燵から足を抜いてにじり寄ってきた。
足先だけ器用に炬燵に入れながら体を伸ばして私に、アイスは、と問う。
「ちゃんと買ってきましたよ、でももうすぐ夕飯ですから今は駄目です」
「我は今食べたいある!」
「わがまま言わないで下さい。あなたが一番年上でしょう」
中国さんはぷくっ、と頬を膨らませた。
先ほどの台湾さんの反応によく似ていて吹き出しそうになる。
香港さんが「蜜柑はセーフ?」と問いかけてきたので、少し考えて「その一つで終わらせればセーフです」と返す。
さて、買った物を冷蔵庫に詰めなければ、と立つと台湾さんが後に続こうとした。
「お米は炊いてますし、夕飯のおかずもほとんど出来上がってるんです。疲れたでしょう?だから、ゆっくり座っていて下さい」
台湾さんが、でもと言い募るのを中国さんが手をひらひらさせて遮る。
「日本もこう言ってるある、お前も早く座るよろし」
台湾さんは少し迷ったようだが、大人しく腰を下ろして炬燵に入る。
「少しくらい、頼って下さいよう…」
彼女の呟きには聞こえなかったふりをした。
こうして、皆で集まるのは久しぶりだ。私はアイスを冷凍庫に詰めながら一人、 微笑む。
それから、ぱたんと冷蔵室の扉を開いて、明日の朝食と昼食のおかずを詰めていく。
最近は忙しくて、なかなか――― 忙しくて?
手を止める。
私、最近外に出る用事がありましたっけ?
最近、私は…何を。ああ 、違う、久しぶりなのは、中国さんたちと都合が合わなかっただけだ。
最近訪問者もいなかったし、ぽちくんの散歩や買い物以外にはどこかに出かけてもいない。
忙しかったのは彼らの方。
そうだった、そうだった。
居間に戻ると、四人が炬燵に入って何かを話して笑っていた。
四辺全てに人が入っているので、どこに入れて頂きましょうかと迷っていると、
私に気づいた台湾さんがにこりとして体をずらした。
私はお礼を言いながら彼女の隣に体を滑り込ませる。
「日本、腹が減ったある」
「少しだけ我慢して下さい。ちょっと早いです」
「アイス」
「駄目です」
「日本はけちある!」
「日本はけちなんだぜ!」
「ちょ、うるさい…」
「我慢しなさいよ!もう!」
「ふふ………」
胸が温かくなる。何だかんだで皆さんに囲まれて、私、幸せですね。
皆さん、に。
皆、……………皆?
騒ぐ四人の声が遠くなる。
むずむずと、心の奥底で何かが蠢いた。これは何だろう。さっきから何かが引っ掛かる。
まるで、魚の小骨を喉に引っかけてしまったように妙に気持ちが悪い。
これは、違和感?―――違和感。 そうなのか?
中国さんも韓国さんも、台湾さんも香港さんも、楽しそうに笑っている。
だけど、私は―――
私は纏わりつく違和感を振り切るように立ち上がった。
見下ろした私と同じ黒髪たちは笑みを消し、私を見つめる。
四対の目の中に、私がいる。
私と同じような色の瞳に映された自分はどこか泣きそうな顔をしていた。
「どうしたあるか、日本」
「わ、私」
一歩、一歩と後ずさる。
彼らは座ったまま動かない。
ここ、ではない。
直感的に思った。
ここでもあるし、しかしここではない。
私が求めているものに、この心地よさは確かに含まれているはずなのだけど、何かが決定的に足りない。
何かが。
とん、と柱にぶつかる。
かち、かち、かち。時計が時を刻んでいる。
台湾さんがふと、表情を緩めた。
「日本さん、出口は入り口ですよ」
愛らしく微笑んだロングヘアーの彼女の一言で私は弾かれたように部屋から飛び出し、見慣れた廊下を走った。
入り口、玄関。勢い余って扉にぶつかりかけ、ばん!と手を着く。
衝撃でかたかたと扉が軋んだ。構うものか、私は、私は。
引き戸に手をかけて思い切り引いた。
手応えは軽く、呆気なく扉が開く。大きな音が響いた。
がらがらがら。