「アレルギー?何それ?」

イギリスの言葉を反芻した俺に、奴は難しい顔で頷いた。
俺はクエスチョンマークを乱舞させながら言った。いや意味わかんないんだけど。
すると、俺だって意味わかんねーよ、と腐れ縁の男はため息を吐いた。




会議が終わり、こうしてイギリスに会ったのは例の休憩室の前だ。
会議中にいきなり倒れた東洋の島国、俺は彼に渡さなくてはならない書類を手に足止めをらっていたところだった。
気の強そうな可愛らしい少女が、眉をつりあげてとにもかくにも俺を部屋から遠ざけようとするので困っていたのだ。

「ちょ、俺はただこれ渡したいだけ、ああもう、君が渡してくれてもいいからさ!結構緊急の書類だか」
「もぉぉ!何なんですか!何なんですか!
 さっきも無理矢理押し入ってくるし!今日は帰って下さいって言ってるじゃないですか!」
「お嬢さん、俺の話聞いてる!?」

そんな問答を続けて、今日は諦めようかと思ったときだ。
少女の背後の扉から 四人が出て来た。イタリアはぐすぐすと泣いているし、他三人はひどく深刻そうな顔をしている。
特にアメリカの真剣な顔なんてなかなか見れるものではない。
何かあったのだろう、ということは察することができた。

「……え?もしかして日本、そんなに調子が悪いの?」
「…………悪いどころか」

アメリカが考えるような素振りを見せて言葉を切った。そのまま、それ以上続けることなく立ち去ってしまう。
イタリアも俯いたまま何も言わない。隣のドイツが口を開く。

「日本の体調、はもう大丈夫だ。顔色も良くなっていたし、ただ」
「ドイツ」
言葉を遮り、イタリアがぐい、とドイツの裾を引いた。
ドイツは少し迷った様子だったが、イタリアの頭に手をやって慰めるように軽くぽんぽん、と触れた。

「悪い」

それから、イタリアと並んで廊下を曲がって行く。
仕方なく、最後の一人に目をやる。苦い顔をして、腕を組んだ男が一人。

「………………俺かよ」
「だってお前しか残ってないじゃん。俺だってできればお前と話したくないんだけどさ」
「んだとコラ!……………いや、まあ、ずっと隠し通せるもんでもないだろうし」

見計らったように扉の前に座り込んでいた、黒髪の少年が言った。
「じゃ、そろそろ帰ってもらっていいっすか?」




「欧米アレルギー、欧米アレルギーねえ……」
「まあ、それはあくまで中国の例えだけど。訳わかんないよな。日本は昔から読めない奴だけど」
イギリスと二人、会議場のロビーで話す。
どうやらあれから、アメリカが人払いしたらしい。
そういえばさっきは少し急いでいる様子でもあったな、と今になって思う。
閑散としたロビーにイギリスと二人。できればもうすこし落ち着ける場所がよかった。
しかしながら、悪いが、遥か昔から剣も拳も交えてきたこの元ヤンと二人でテラスやバーに入るつもりはない。
ちょうどロビーに人気がなくなっていてよかった。

「なんでだろー。実は日本ってば俺らが嫌いなのかね?ショックー。でも今更?」
「俺が知るかよ」
「そのアレルギーってどこまで対象内なの?欧米以外にも国はあるじゃん」
「…試してみろっていうのか?目の前に誰か見えるか、声が聞こえるか、触れられるかを?国名を挙げて、こいつを覚えているかって?日本に聞くのか?」
「あー、ごめん。でもアジア勢には普通に接してたんだろ?」
「ああ。でも確実に元連合や元枢軸国の欧米連中のことは忘れてるみたいだ。中国が確認したらしい」
「…何から何まで全部忘れるなら分かるんだよね。でも、綺麗さっぱり俺たちのことは忘れてる、さらに感覚で感じ取れない?…それって可能なんだ?」

「ああ、俺も疑問だった。日本って、既に欧米文化もかなり取り入れてるし、日本自身記憶に不都合が生じるだろ?
 ――例えば、戦争だって誰と戦って誰と組んでいたのか、とかさ。
 でもどうも、過去一切の記憶が曖昧らしいんだよな。ただ 、アジア勢の顔を見てそいつは誰か、関係性はどうだったかは分かるみたいなんだ。
 あと、俺たちの関わらない幾らかの記憶ははっきりしてるし。…それ以上は あんまり話聞き出せてないんだけど」

「なるほどね…どちらにしろ、あんまり口外しない方がいいな。人払いして正解だった。世界中大混乱だよ」
「ああ、アメリカに任せてよかった。何だかんだであいつの発言力強いからな」


それから、ふと俺もイギリスも押し黙る。
俺たちの存在そのものを記憶からしめ出して、体からも遠ざけようとしている、あの生真面目な国。
彼の中で何があったんだろう。何がきっかけだったのだろう。出会ってからの年月は、百年を軽く超えているのだ。
なんで今更?


「それってさぁー」


背後から間延びした声が聞こえ、俺とイギリスは飛び上がった。
振り返ると身を屈めたロシアがぱちぱちと瞬きしていた。

「いつからいたの!?」
「二人がそのソファーに座ったところかなぁ」
「始めからじゃねーか!」
「うん、僕思ったんだけどね」

イギリスを無視してロシアは続けた。

「日本君てさ、黙ってると思ったらいきなりぱーん!ってなるじゃない」
「ぱーんってお前…」
「うーん、確かにずーっといつも通りにしてると思ってたら、急に説教始めたり。えっ、今日本怒ってたんだってびっくりすることあるよね」
「今回のもそういう感じじゃないのかなって」
「っていうと」
「ぱーん!ってなった状態」
「ああ、成る程ね…」
「いやまて、トリガーは何だったんだ?何かずっと溜め込んでたとして、何で今なんだよ」
「知らないよ。僕は日本君じゃないもの」

そう言ってロシアは背中を伸ばした。イギリスは難しい顔をしてロシアを見上げる。

「………随分平然としてるな。どうでもいい、って言える状況じゃねえだろ」

ロシアはきょとんとして、それから笑う。
「だって、どうしようもないじゃない。日本君、って呼びかけても反応ないし」
「あれ、お前日本に会ったの?」
「さっき。アメリカ君の様子が変だったから見に行ったんだぁ、中国君に追い出されちゃったけどねー」

それはそうだろう。ただでさえ中国はロシアを遠ざけている。
ロシアは傍観者のようでいて、たまに事態をかき乱すこともある。あまり今の状態の日本に近づけたくなかったのだろう。
俺が一人、納得して顔を上げるとロシアとばっちり目が合った。薄笑いを浮かべていたが、目が笑っていない。
え、もしかして俺の心読んだ?
取り繕うように、笑い返してみる。

「………だから、無理矢理思い出してもらう訳にもいかないじゃない。でもね、 日本君はお説教しても怒っても、結局はいつも通りになるから。
 それに、アレルギーって治るものもあるらしいよ?うん」

日本の笑顔も腹が読めないが、思えばロシアの笑顔だって読めない。
しかし、そう言ったロシアの表情は何とも言えず、ただ純粋に気持ちを吐露したようにも思えた。

「待てって訳?」
「だってトリガー……きっかけなんて、日本君にしかわからないよ」
「………一過性の、ううん、風邪みたいなものだって思ってればいいのかな」
「うんうん、フランス君いい例えだねー」
「何なんだよお前ら……あー、何かますます分からなくなってきた」
「まあ」

解決策どころか現状把握もいまいち分からないのだけど。
いきなり知人に綺麗さっぱり忘れられてしまって、尚且つ拒絶されて。俺たちが出来ることなんてたかが知れている。
しかし、これは意外と難しいことだと思うのだ。

「日本がまた、俺たちに『会いたい』って思っていつも通りの日本に戻るって信じるしかできないよねー」

…………はぁ。
イギリスが隣で大きなため息を吐いたのが聞こえた。







「日本、今日は予約してるホテルをキャンセルするよろし」

我が言うと、日本は少し黙り込んで尋ねる。
「……………ホテル?ここは日本ではないのですか?」
「………ここは」

どうやら此れも曖昧らしい。ああ、何が地雷になるか分からない。
どうせ言ったところでアメリカの地名など分からないだろうが。
しかし、先程から何度も質問を重ねているせいで日本は若干不安げな顔をしている。
思えば、目覚めてすぐに幾つかの記憶の確認をされた日本は戸惑っただろう。
あいつらの相手もしていたために、しっかりと日本に話をしてやっていなかった。
さあどう答えたものあるか……思案しつつ、ソファーで呑気に眠りこけている韓国をつい睨んでしまった。

「日本さん、さっき倒れたとき、少し頭を打ってしまったみたいなんです」
「えっ」

我が黙っていると、日本の隣に腰かけていた台湾が口を開いた。
頭を打ったと言われても、実際には倒れたとき体を支えられていたはずである。外的な痛みは一切ないだろう。
不思議そうに頭をさする日本に、そのまま畳み掛けるように台湾は続けた。

「それで、どうやら日本さん、少し記憶が混乱しているみたいなんですよね。だから、さっき色んな質問しちゃったんです。びっくりしたでしょう、ごめんなさい」
「ああ、道理で変な質問をするなぁと…確かに先程も言いましたけれど、私の記憶はかなり曖昧なようですね」
「それでここは、えーと、えーと、中国さんの別荘ですよ!私たち、皆で旅行に来たんです!」
「えっ、台湾、それちょっと無理が」
「ちょっと黙ってて香港」
「別荘……旅行…?えっと、」
「ついついはしゃいじゃいましたもんね!それで疲れて倒れちゃったみたいで!だから少し休みましょう!
 あの、ホテルは、うーんと…日本さんが泊まって…いや、別荘…あれ?」
「なんとまあ…旅行…」

日本に倒れた前後の記憶がないがために、どんどんシナリオは妙な方向に進む。
台湾自身、いや何かもう苦しい無理無理無理、と冷や汗をかいているのがよく分かった。
しかし、欧米の国々を忘れた、知覚出来ないといっても日本に外来語の語彙は自然に残っているらしいことは安心する。

「ここは中国さんの別荘、なのに私、わざわざホテルを予約した……?」
ぼそり、と日本が呟いたので、我はぶっきらぼうに言う。

「我がお前は泊めないと言ったある」

すると、日本は驚いて顔を上げた。
それから悲しそうな顔をして、そうでしたか、そうですよねと納得してみせた。ふりをした、ことに気づいたのは我くらいだろう。
日本の記憶が実際にどうなっているのかよく分からない。
しかし、何故日本が色彩の異なる異国の国々を拒絶しようとするのか、
その理由を我は何となく知っているような気がする。

日本の家、和室、散らばる草紙。

この会議に来る前に、我は日本の家に立ち寄った。
あのときから、少し様子はおかしかったのだ。
珍しく襖を開け放していたため、居間から垣間見えた書斎の様子。



「もう会議どころじゃないわよね、どうしたものかしら」
「日本に帰すしかなくない?」
「俺も帰りたいんだぜー!もう兄貴と俺たち今日で帰っちゃえばいいんだぜ!」
「あ、そっか。でも外に出たら外国人いっぱい…空港も港も…ヒトに触るのも駄目かもね。こうなったら日本さんを一旦気絶させて…」
「気絶!?眠らせるとかじゃなくて!?」

どうやって日本をいかに他人に接触させずに返すか、
少し不穏な方向にぼそぼそとした話し合いをする台湾たちを見ながら、我は思う。



あの書斎、きっとあの場所に。