日本が帰って来てすぐに、台湾さんは帰ってしまった。
去り際にぼそりと、「さっきは足、ごめんなさい。後はお願いしますね」って呟いて笑ってくれた。
その笑顔が可愛かったので、ついハグしようとしたらお腹に一発パンチをもらってすっごく痛かった。
呆れたようにドイツも軽く小突いてきて、俺は情けなくもお腹を抱えて、それからつい笑ってしまった。



「ここ数日、おかしな夢を見るんです」
中国と日本と俺とドイツ、四人の空間で日本は突然そう切り出した。
日本にすれば中国と一対一で話しているつもりなんだろうけど。
俺とドイツは日本に絶対肌が触れない距離、かつ日本の声がしっかりと届く場所に座って話を聞いている。
二人分の夕飯の下ごしらえを終えた日本は割烹着を来たまま中国とお茶を啜っていた。
ふつふつふつ、とお米の炊ける音が微かに聞こえる。

「夢?」
「ええ、不思議な夢です」
「他人の夢ほどどうでもいい話はねーある」

中国がそう言ったので、俺はびっくりして言った。

「えー!聞きたい!他の人の見る夢の話って結構面白いよー」

中国が頬杖をついたまま、ちら、と此方に視線を寄越した。何かだるそうな顔で怖い。
うっ、とつい俺が声を詰まらせるとドイツが中国に気にしないでくれ、と 眉間に皺を寄せて言う。
この問答が聞こえていない日本は、そうですよね、なんて苦笑しながら中国の前にある空になった湯呑みにお茶を淹れていた。

「………まあ、時間潰しにはいいある。話すよろし」

えっ、と日本と俺が同時に声を漏らす。
「あ、ありがとう…?」
嬉しくなってお礼を言ったんだけど、中国は鼻を鳴らして暇潰しある、と念を入れるように呟いた。

「え、ええと。言い出しておいて申し訳ないんですが。あまりはっきりとはしていないのですよ」
「そんなの夢だから当たり前ある」
「そう、ですよね。………旅をする夢、なんですけど」
「旅?」
「旅といっていいかもわからないんですが。それで、おかしな人たちと会うんで す」
「どんな」
「ううん……思い出せません。ああ、でも昨日は夢の終わりに中国さんが出ましたよ。それで、ああ確か、私中国さんを見て何か思い出したんですよ」

思わず、俺はドイツと顔を見合わせた。
今の日本から「思い出す」なんて言葉を聞くと、とても意味深なものに聞こえた。
中国も少し姿勢を正して、まっすぐ日本を見ている。

「…何を思い出したあるか?」
「…………さぁ…そこで目が覚めちゃったんです」


それから顔を上げて、日本が笑った。

「夕飯を作り忘れたのかもしれませんねえ」








「イタリア、そろそろ引き上げるか?」
それから日も落ちて、外は真っ暗になった。もう時刻は22時過ぎ。確かに少し眠たくなってきたかも。

「ヴェ、そうだねー。日本の顔を見られてよかったよ、元気そうで」

でも、やっぱり視線も合わないし一言も交わさないって寂しい。これからずっとこうなのかな。
例えば、日本が俺たちのことを忘れているだけなら、まだよかったんだ。
そのまま思い出せなくても、また一から始められるから。
だけど、ねえ日本、一から始めることすらできないなんて、どうすればいいの?

「あっ!」
「何だ」
「やばいよー、そういえばさっきお客さん用の寝室に行ったじゃん、中国に言われて」
「ああ……」

さっき、中国に「帰る前に我の布団敷いてから行くある!」と押し付けられたのだ。
いつも日本が中国のために押し入れから下ろしてるみたいだし、日本のお手伝いにもなるかなって引き受けたんだけど。
俺は、空っぽのジャケットのポケットを上から確かめるように、ぱんぱん叩きながらドイツに、えへ、と笑いかけて言った。

「あそこに携帯忘れちゃった」
「……………」
「…………取りに、行ってきま」
「馬鹿か!!それをもし日本が見つけたらどうなる!混乱するだろうが!」
「ひぇぇぇ!はい!行って来るであります!」
「急げ!」
「はいー!」




寝室の襖をそっと開けると、中国のために敷いた布団の上に日本が眠っていた。

「あれ?」
慌てて口を塞いで、日本には聞こえていないんだったと思い出して苦笑いしてしまう。まだ慣れない。
携帯は部屋の隅に落ちていた。幸運なことに、日本は気づかなかったらし。
携帯を拾って、静かに出ていこうとする。

「…………わたし」
「!日本?」
「……………私、このままで」

ゆっくり近づいて日本の顔を覗き込んだけど、日本はやっぱり眠っているみたいに目を閉じたままだった。
ここには、日本と俺しかいない。日本がもし目を覚ましていたのだとしても、日本からすれば一人きりのはずだ。
でも日本は普段誰かと話すときと同じようにしっかりと続ける。

「…ふと、思ったんです。私はこのままでいいのかと。」
「……………日本?」

「…開国して、同盟を組んで、戦って。日記の中で、逐一私は自らと全く異なる色たちに戸惑っていました。
 食事だって信条だって衣服だって何から何まで違う。けれど、今の私といったら。
 戸惑いなんていつ消えてしまったのでしょう。
 彼らの文化や習慣を吸収して、どんどん昔の姿からかけ離れていく、私、わたしのかたちを失っていく、」

「日本?ねえ、日本、思い出したの?」


「………怖くなったのかもしれませんね。今更、今更だからこそ。
 私は私としての形をいつぞや完全に失くしてしまうかもしれない。 
 そんな恐怖を。だから、彼らと共存しようと自分自身で決めたことも、忘れてしまったのでしょう……」


はっきりとした口調ですらすらと、目を閉じたまま日本は言った。
それでも、俺の言葉は聞こえていないみたいだった。

日本。ちょっと変わってるけれど、俺が転びそうになったらドイツと一緒になっていつも引っ張りあげてくれる、俺の友達。
ああ、手も握ってあげられないのが悲しい。

「日本、」

目を閉じたまま話す日本の声は、段々小さくなっていく。
でも、俺は確かに聞いたんだ。



「…ええ、私、帰ります。帰りますとも。だから、ねえ、いつものように、」







その先を聞いて、俺はまた泣く。もうやだ、何回目かなあ。
それっきり、日本は言葉を発することなく寝息を立て始めた。
後ろで襖がそっと引かれる音がした。気配で何となく、ドイツだってわかる。
いつまで経っても俺が戻らないから心配になったんだろう。

「………おい、イタリ」
「………ねえドイツ」

心配そうなドイツの言葉を遮って俺は泣きながら言った。

「明日の朝すぐ、また、此処に、来ようね」
「イタリア…」



「だって、多分きっと。明日、日本が帰ってくるよ」



だから、明日はもう泣かない。