肌を刺すような冷たさに目を開ける。
辺り一面が雪景色だった。ぱちぱち、と瞬きして目を擦る。
おかしい、私は兎と友達になって、それから少女と湖に落ちて…目を開いたら銀世界。これはどういうことだろう。
何度瞬きしても景色は変わらない。また少女は姿を消していて、私は一人だった。
そっと頭に手をやると猫の耳は無くなっている。
それからゆっくりと自分の体を見下ろす。私は真っ白な着物を着ていた。
少し底の高い下駄を履いているが、上着はなく、かじかむように寒い。
よく見ると、赤くなった指先は先程より長くなっている。
身長も少し伸びたようだ。およそ8、9歳くらいだろうか。

ふるり、と震えてもう一度辺りを見回す。一面の白の中、黄土色が動くのが見える。静かに近づく。
それは幼い子供だった。
後ろ姿から察するに、今の私と同じくらいの年だ。
白金のゆるりとした髪がきらきらと光っている。肌も髪も、全体的に色素が薄い。
真っ赤なマフラーを巻いて、暖かそうな分厚い生地のコートと真っ黒な手袋を身につけている。
思わず「いいなぁ」と言ってしまう。弾かれたように子供は振り返った。
子供の瞳は硝子のように澄んだ薄紫で美しかった。

「きみはだあれ」
「わたしですか?わたしは、」
名乗る名前が無いことに気づく。
仕方がないので、少女に呼ばれた名前を告げる 。

「き、きくです」
「きく?」
「お花の名前です」
「ふうん」

少年は体ごと此方に向き直った。
真っ白な肌であるのに、頬、耳、鼻の先が寒さのせいか薔薇色に染まっている。
少年はしげしげと私を観察するように視線を動かす。

「寒そうだね」
「ええ、さむいです」
「なんでそんなかっこうしてるの?」
「なんででしょうねぇ…」
「ぼくがきいてるんだよ」
「わたしもききたいです」
「えー…………」

少年はぱちぱちと瞬きした。
しかし、はっとしたように足元の雪玉を転がし始める。
私が声をかける前から、彼は雪玉をころころと転がしていた。
作業を再開した彼は、私との会話はそれきりだというように雪玉転がしに没頭する。
仕方なく、私は彼の周りを見渡した。
彼の周りには不揃いな雪玉がいくつもいくつも転がっている。
不揃いながら、一つ一つはそれほど大きくない。私の膝くらいまでの高さだろうか。
ともかく、雪だるまを作っている訳ではないようだ。
それにしても…寒い。
着物は足元がひどく冷える。あまりにも寒いので、足の先の感覚がない。
困りましたね。白い息を吐いた。
じっと見つめる私が少し気になるのか、 彼はちらりと此方を一瞥した。


「ほんとにさむそう」
「ほんとにさむいです…」
「……きみは暖かいばしょからきたの?」
「うーん、そうだと思います。四季のはっきりしたばしょでした。春はさくら、 夏はひまわり、秋は」
「ひまわり?」

今まで反応がいまいち薄かった少年が勢いよく此方を振り返った。
私は驚いて言葉に詰まる。

「きみのところはひまわりが咲くの!?」
「え、ええ」
「たくさん?」
「それなりに」
すると、少年はこれまでの態度をころりと変えてにこにこ笑いながら私の前まで走ってきた 。

「いいなあいいなあ、ぼく、本物のひまわり見たことないんだぁ」
「ここには咲かないのですか?」
「咲かないよ。ずーっとずーっと雪がふるんだ」
「それは、たいへんですね」
「ぼくにはおねえちゃんといもうとがいるんだけど、二人もひまわりを見たことないんだって」
「ひまわり、見るとげんきになりますよ。大きくて、おひさまに向かって咲くんです」
「おひさまかぁ、やっぱりここじゃあひまわりは見れないのかなぁ」
「なぜですか」
「ここはおひさまが顔をだすなんてめったにないんだよ」

灰色の空を見上げた。
なるほど、分厚い雲に覆われて太陽は見えなかった。


「ねえ、てつだってよ」


視線を子供に戻すとそんなことを言われる。
手伝いたいのは山々だが、正直困る。だって凍えてしまいそうなのだ。
うーん、と悩んでみせるといきなりごわごわとした感触に首を締められた。
目の端に赤い何かとそれを握り締めた彼の手が見える。

「…!!!」

ぐん、と気管が締め上げられる。ぺちぺちと彼の手を叩いた。
苦しい、子供なのに何て力強さなんですか!

「あれ?ごめんね、ちからかげんまちがえちゃった」

慌てて彼は力を緩める。わざとではなかったらしい。
私は楽になった呼吸に安心して、改めて首元を見る。

「かしてあげる」

それは彼のマフラーだった。
それから彼は右手の手袋も手から抜き取って、私の右手に嵌める。

「ねえ、てつだってよ」

無邪気な笑顔で私の右手を掴んだまま彼は言う。
本当に無意識なのか、手首が圧迫される。
思わずこくこくと頷いていた。





「ちがうちがう、その雪玉はこっち」
彼の指示を受けながら、私は作った雪玉をよいしょと抱えて並べていく。
一体何を作っているのだろう。延々と雪玉を作っては並べ、を繰り返す。
手袋は雪の水分をすっかり吸ってしまって最早意味がない。
私、凍傷になるかもしれません。可哀想なくらい赤くなった自分の手足の指の先を見てそう思った。
しかし体を動かしているからか、感じる寒さはそこまで酷くはない。体の中心はむしろほかほかと暖かかった。
ただ体の末端が冷たいだけで。

「このくらいかな?うん!」
「え、かんせいですか?」
彼が手招きをするので、ようやく終わりかと歩み寄った。
しかし、がしりと手を掴まれ、 えっ、と思う間もなく思い切り引かれる。
彼の体の横を掠めて、ばふっと私の全身は雪に受け止められた。
私は子供に顔面から転ばされたのだ。
痛くはなかったのだけど、突然の理不尽な仕打ちに一瞬呆ける。

「な、何するんですかぁ!」
雪まみれになった体を起こして彼に詰め寄ろうとする。
「えーい」
にこ、と笑った少年が再び先程倒れた場所のすぐ隣に私を突飛ばした。
今度は背中から雪の上にダイブする。
じわじわと感じる冷たさに今度こそと立ち上がろうとすれば、ふっ、と 風が私の横をすり抜けて、続けてばふっと音がする。
見ると少年自らも雪に飛び込んでいた。雪に埋まった顔を上げた彼の顔は雪まみれだった。
睫毛にまで雪が乗っかっている。

「きく君!ぼくのとなり、もう一回!」
きょとんとしていると焦れたのか彼は体を起こして、座り込んだままの私の手を取って引っ張り上げた。
「雪玉のまわりをぐるっと一回ずつたおれていくの。そしたらかんせい!」

それから、彼が倒れた横に私を連れていき、また私を突飛ばす。

「………だったらはじめに言ってください!いきなりつきとばされたらびっくり します!」
私がぼふ!と雪から体を起こして思わず叫ぶと、彼はまた私の隣に飛び込み体を起こして笑いながら言った。

「ぼくにはそんなサービスないよ!」





丸く集った雪玉の周りを子供二人が何度もダイビングした跡がぐるりと囲んでいる。
私と彼は全身雪まみれでそれを見つめていた。これで、完成なのだろうか。
私が首をひねると、彼は私の首に巻かれたマフラーをちょいちょいと引っ張る。
それから 、背後の巨大な塔を指差した。
あれ?さっきまでこんなもの…………

「いっしょに見ようよ!」
「え、ちょっと…」
ぽっかりと開いた塔の入り口を彼に導かれるままに潜る。
目の前にはひたすら高く高く上まで続く、塔と同じ石造りの階段が続いている。
彼がどんどん上って行くので、私は息を切らせながら後を追う。
中腹でついに疲れて、壁に手をついて立ち止まると彼がため息をつきながら下りてくる。
「きく君、なんじゃくだね」
「うう」
彼に背中を押されて階段を上って行った。すっと視界が開ける。
ようやく頂上に着いたようだ。
彼は息を乱す私の手を引いて、下を見下ろせる場所へ連れていく。
そして、指差して笑った。
「ほら、見て!ひまわり」



見下ろした場所には確かに巨大な向日葵があった。
雪玉が集まって大きな一つの円を描き、その周りをぐるりと、私達が何度も体を倒した跡が囲んでいる。
雪玉の種、そして私たちが全身で作り上げた花弁。歪で巨大な真っ白の向日葵。
雪まみれで、それでも嬉しそうな少年に私も興奮しながら言った。

「す、すごいです!こんなに大きなひまわり、はじめて見ました!」
「えへへ、ぼくもこんなに大きなのはじめて作ったよ」
「ええ、ええ!それに大きいだけじゃなくてきれいです!」
「ぼく、ひまわりがすきなんだ」

巨大なひまわりは彼の気持ちの大きさを示しているかのようだった。
暖かい場所への憧れがよほど強いのだろう。

「ねえ、きく君!」
彼は、私の首からマフラーを外す。
私もびしょ濡れの手袋を外して彼に礼を言いながら返す。
彼は手袋を受け取りながら、ふわりと笑った。

「こんど、きく君の家にしょうたいしてよ。ほんものの、ひまわりを見せて」



向日葵に憧れる、無邪気な子供。
私もにこりとして答えた、