ばんばんばん!
何やら騒がしい音に目を開ける。
続けてぴんぽんぴんぽーん!とチャイムが連打される。

ゆっくりと体を起こして背中を伸ばす。それからぐるりと辺りを見回した。
此処は部屋、だ。畳に押し入れ、箪笥、本棚、勉強机。
随分とこじんまりとして淋しい部屋である。あまり、物がない。
立ち上がって、ベージュ色のカーテンを開けた。
この部屋は二階に位置するようだ。真下にこの家の玄関が見える。
金の頭が、扉を叩いたりチャイムを押したりと落ち着きなく動いているのが見えた。

「おや」

声を出して、思わず喉をさすった。
先程まで幼い高めだった声が随分と低くなっている。
そういえば、目線の高さもぐんと高くなっているようだ。


ばんばんばん、ぴんぽんぴんぽんぴんぽーん。
「おーい!開けてくれよ!」


外から少年の声がした。
ハッとして、どこの誰だか分からないがとにかく止めて頂かなければと襖を開けて出て行こうとする。


「あれ?おかしいですね」
どれだけ力強く引いても襖は開かない。
仕方なく、再び窓に歩み寄った。からら、窓を開けて下を覗き込む。
窓の音に反応して、少年が顔を上げた。
さらさらとした金髪に、海のように青い目をした背の高い少年である。
彼は学生服を着ていて、学校指定であろう学生鞄を足元に転がしていた。

「あ、あの、止めて頂けませんか。扉が壊れます…」
私がそう言うと、彼は呆けた顔をして瞬きをした。
それから、眩しそうに目を細めて私の顔を見上げる。

「君が、菊かい?」
菊。それは確かにあの少女に名付けられた私の名前だ。
しかし、何と言えばいいのか。私が迷っていると、沈黙を肯定として受け取ったのか彼は笑った。

「うん、君が菊だね!やあ初めまして!会いたかったよ!」

何だかおかしなことを言う。
初めまして、に続いて会いたかったと言われても。

「ど、どなたですか」
「毎朝毎朝こうして君を訪ねてきてたヒーローさ!」
「ま、毎朝!?」
「?毎朝、チャイムを鳴らして君を呼んでたよ。無視してるのかと思っていたけど君、まさか気づいてなかったのかい?」
「え?え?」

訳が分からず、私は首を傾げた。どういうことだろう。私の様子を見て、彼はまた言った。

「俺、ちゃんと自己紹介してなかったよね。俺と君との関係を説明するといわゆるクラスメイトってやつさ」
「クラスメイトですか?」
「うん、君が知らないのも無理ないよね。進級して早々ヒキコモリだもんね!」
「引きこも……!!?」
「俺はヒーローだからね!仲間外れができないように、こうして毎日君を迎えに来てたんだぞ!」
「ああ、だから初めましてだなんて言ったんですね」
「それなのに君ったらいつも無反応なんだから」
「………それは、申し訳ありませんでした」

小さく謝罪する。しかし私には全く身に覚えがない。
金髪の少年が笑って言った。

「じゃあ菊、今日からは学校に行くつもりなんだね」
「え?」
「だって初めてこうして俺に顔を見せてくれたじゃないか」
「えっ、と。それは」
「……まさか、今日も行かないつもりなのかい?」
「………………」
「………………」
「………………」

はぁ、とため息を吐いて彼は頭をぽりぽりと掻いた。

「まあ、こうやって顔を見せただけでも随分大きな変化だよね」

私は俯いた。出て行こうにも襖は開かないし、窓から飛び降りる訳にもいかない。
どうしろというんでしょう。……どうしようもないでしょう。

「菊」
「………はい」
「俺が学校に行くまでにちょっと時間があるんだ!」
「そうですか」
「少し話を聞かせてくれよ!そこからで構わないから!」

からからと快活に笑った彼の顔はまさに太陽のようだった。





「それで、俺は言ってやったんだ」
「はあ」
「俺は正義のヒーロー!悪は絶対に許さないんだぞ!ってね」
「…………はあ」

実際のところ、話を始めてみると彼がぺらぺらと話を進め、私はそれに相槌を打つというスタイルに落ち着いてしまった。
思い出したように、彼は私に話を振るのだけれど、少し立つとすぐに会話の主導権は彼に移る。
しかし、彼の学校生活の話は聞いていてとても面白いものだった。
身振り手振りを交えたオーバーリアクションで語るものだから、視覚にも賑やかである。
彼には双子の弟もいるらしく、顔がそっくりでよく周りに間違えられるため、たまに他人を騙してからかうらしい。
歴史を教えている教師に仕掛けたらしいドッキリの話なんて傑作だった。
勿論、あとからこってりと仕置きをくらったらしいが。
知らずに自分の振りをされた双子の弟も珍しく怒り、センセイの罰よりずっと怖かったんだ、と思い出したのか少し身震いしながら彼は語った。
私は行儀が悪いと思いながらも窓枠に肘をついて 彼の話に耳を傾ける。

「おっと、また俺ばかり話してるんだぞ!もう、菊!ちゃんと君も話してよ!」
「えええ…善処します」
「善処って何だい?ほら早く!」

どうやら彼には八ツ橋というものが通じないらしい。
私としては、お断りしたつもりだったのだけれど。

「貴方のお話を聞いている方が楽しいんですよ。それに、私の話なんてしてもつまらないじゃないですか」
「俺、つまらないなんて言ってないぞ?っていうかまだ君からそんなに話聞いてないよ」
「言われなくたって分かりますよ。きっとつまらないです。大した話は出来ませんからね」
「何だいそれ。君はエスパーなのかい?」
「そんな訳ないでしょう」
「じゃあ、俺の心なんて予想も察知も出来ないじゃないか!」

彼は平然と言う。ああもう、ずばずばと切り込んでくる少年だ。
ふと、少年は黙り込んでしまった。
急に真面目な顔つきをした少年に焦って、私は言う。

「貴方のお話を聞いている方が楽しいと申し上げたでしょう。学校の話、興味深いです。もっと聞かせて下さいよ」
「………学校ねぇ」
「…………っ」
「君、いじめを受けた訳でも成績が落ちた訳でもないんだろ?家庭がタイヘンって訳でもないらしいし。君のトモダチ、心配してたよ。
 訪ねて行っても電話かけても返事がないって落ち込んでた奴もいたし」
「そ、そうなんですか」
「なんでヒキコモリなんてやってるんだい?」
「さあ………」
「ふーむ、やっぱり君も何か…プライドが邪魔なんだな」

彼は自信満々にそう言い放った。

「……プライド?」
「君はプライドが変な方向に高いんだよ。だから現実が怖いんだ!意地を張ってるんだよ」
「ち、違います。そんなこと」
「いーや!違いないね!」
「プ、プライドは必要です!」
「いらないなんて言ってないよ!俺だってヒーローとしてのプライドは持ってるんだぞ」
「へ……変にプライドが高いってなんですか」

私が言うと、彼は腕組みをして口を尖らせた。

「俺には不本意ながら兄がいるんだけどさ、あ、生徒会長やってるんだけど名前は……って知らないか。
 まあそいつがプライドがとにかく高くて口うるさいんだよ」
「お兄さんですか」
「あいつの場合はプライドが邪魔していつも変な意地を張るんだ。鬱陶しいことこの上ないんだけどね」
「…………それで?」
「じれったいんだよね!まっすぐ見れば、現実はなんてことない、見たままそのままなのに。
 だけど遠回りしちゃって、その上意地を張るが故に変なフィルターをかけて物を見てるんだ。そっちの方がよっぽど面倒だよ!」
「………………」
「………………」
「………………」

若干の沈黙。私は彼の言ったことを反芻する。
フィルター?何のことだろう。だったら私は、何を見ていると言うのだろう。

「ねえ菊、何が嫌なのか知らないけど」
「………………」


「君の目の前にあるのは何だい?ねえ、ねえ。君、モンスターでも、見えているのかい?」


そして、金髪の少年は初めて、眉を下げた。ひどく悲しそうな顔だった。
それを見た瞬間、体が動いた。私は、開けた窓をそのままに体を反転させて襖に駆け寄る。
あれほど頑丈だった襖はあっさりと横にスライドした。
私は廊下を駆け、階段を走り下りる。それから、玄関の真っ白な扉に飛び付いた。
銀色の内鍵を回す。がちゃり。 やはり呆気なく、鍵は回る。
ドアノブに手をかけて、私は思い切り押した。


私の目の前に佇んでいる筈の少年と、面と向かって話をするために。